えじそんくらぶの活動報告
会報(ニュースレター)一覧
目次
- 田中康雄先生のドクターのつぶやき(アメリカからの報告②)
- ちゃんと見えていますか
- 品川裕香さんの子ども支援最前線(高等教育以降のADHDを持つ人に今できること、すべきこととは?)
- JDD設立報告
- カナダセミナー報告②
- とんとこの風景
- ズレちゃんの今日も元気
「普通」って何?
皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたか。私は休みを多めに取り、張り切って大掃除の予定でしたが、挫折しました(想定内?)
リタリンで集中力が驚異的に伸びた状態で、一番の苦手分野の掃除に挑みました!
ところが予想に反して、一向にきれいにならないのです。その結果に愕然として、私のセルフエスティームは急降下し、一気に掃除をする気がなくなってしまいました。その理由を分析すると、実は掃除にはレヴィーン博士の8つのシステム(詳細は「ひとりひとり心を育てる」参照)の中の空間秩序システムが必要なのです。私はこの能力が著しく低く、空間をうまく利用する、必要なものを効果的に配置することができないのです。(同様の理由で、旅行のとき、スーツケースの中を整理整頓するのもすごく時間がかかります。)
つまり、私がこの年末年始に体得したことは「薬を飲んでも、もともと身についていないスキルは上がらない」ということです。薬は万能薬ではないことはよくわかっていますが、多くに人が「普通」にできる掃除ができない・・・。かなりのショックです。
このようにリタリンという薬はいろいろな事を私に教えてくれます。一番画期的だったのは、「集中することとは、無口でいるということはどういう状態か」ということを体験できたことです。すぐに気が散る、気がついたらしゃべってるというのが、「普通の状態」である私には、小さい頃、集中しなさい、静かにしなさいといわれても具体的に何をしたらいいのかわからなかったのです。30代になってリタリンを飲んで始めて、「集中することは大切な1つのことだけ考えること、他の不必要な刺激に反応しない(重要な事を選択し、転動性を抑え、最後までやる事を覚えている)こととわかり、無口ということは声のボリュームをゼロにすること(内言語化)とわかりました。」これが、ADHDがない人は、あまり努力をしなくてもすぐできるとわかり、とてもうらやましいと思ったことがありました。
一方で、私はアイデアが出なくて困るという悩みがありません。考えなくても努力しなくても「普通」に自然に出てくるのです。(すべて実行できるということではありませんが・・・)
では、「普通」って何でしょう?
個人レベルで言えば、「無意識にやってること」がその人にとっての「普通の状態」です。そして一般論化すると、「皆(大多数の人が)が同じように(無意識に)やってること」が普通なのでしょう。今月の4コマ漫画は、実際にあった会話ですが、何気なく日常会話で使う「普通」という言葉にはいろいろなニュアンスが入っています。例えば、「普通とはみんなと同じこと」とすると天才といわれる人は実は変わった人が多いですよね。棟方志功やエジソン、モーツアルトはちょっと普通じゃないところがあります。大切なのは、「普通じゃない」ということは「異常」と同義語でないということです。単に「大多数の人と違う状態」なのです。よく「日本の常識、世界に出れば非常識」といわれますが、日本人と外見は同じでも帰国子女や日系人は大多数の日本人と違う価値観や行動様式を持っていることが多いので周囲の人は、「普通じゃない」と感じることがあるかもしれません。しかしそれは単に大多数の日本人と違っているだけで「おかしい、間違ってる」と短絡的に決め付けるのはどうでしょうか?
もちろん、それは異常なんかではありませんよね。
私は今、四捨五入すると50歳になる年齢です。年を取ってうれしいことは「忘れること」が段々「普通のこと」になることです。「ボールペンうっかり忘れました、どうも加齢の影響で」と説明すると「私もこの前、忘れました、年取るとよくありますよね」とか、私にADHDがあることや、ADHDの事を知らない方でも自然に共感してくださり、責められたりしません。ワーキングメモリーは、加齢とともに弱くなってきて、年を取ると大多数の人が無意識に忘れ物が多くなります。だから年を取れば取るほど忘れることは「普通であまり責められる行為ではない」といえるでしょう。ADHD等でワーキングメモリーが弱い子どもたちがいます。大多数の子どもたちと同じでないからといって、一方的に責めるのではなく、「お年寄りには親切に」という感覚と同じように、さりげない支援をお願いしたいと思うのですが、それは「普通の考えかた」にはまだなっていないですね。
大多数の人と違う何かがあってもその違いを認め合い、大多数の人と一緒に生活ができる空間の構築が真のノーマライゼーションといえないでしょうか。結局、特別支援教育は、違いを認め、助け合い、いじめをなくすクラスつくりが基本となるのかもしれません。(高山恵子)